そしてニニギがまさに今、高天原から地上へ降りようとしたとき、分かれ道のあたりで上は高天原を、下は地上までを明るく照らしている神がいました。
アマテラスとタカミムスビは、アメノウズメ(「天岩戸」にて登場)に対して、次のように命じました。
「お前はか弱い女の神だが、面と向かってもおじけづかない神だわね。だからあそこへ行って、正体を尋ねてきなさい」
その神の居る場所へ向かったアメノウズメが問い質したところ、その神はこう答えます。
「私は地上に住む神で、名はサルタヒコ(猿田毘古神)といいます。高天原の神の御子が地上に降りて来られるというので、道案内役を買って出ました」
こうしてニニギは五柱の神をおともにして、地上へ降りて行きました。
その際にアマテラスは、天岩戸大作戦のときに使った八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と八咫鏡(やたのかがみ)、ヤマタノオロチ退治で入手した草薙剣(くさなぎのつるぎ)をニニギに授け、さらに加えて三柱の神をおともさせました。
アマテラスはニニギに言いました。
「この八咫鏡(やたのかがみ)を私の魂だと思って、私を拝むように大事に奉りなさい。次に、おともをするオモイカネは祭祀を担当し、政治を行いなさい」
このアマテラスとオモイカネは伊勢神宮の内宮で祀られている神です。
ニニギは高天原の住まいを離れ、何重にもたなびく雲を押し分けて、威厳を持って道を進んで天浮橋(あめのうきはし)から浮島に降り立ちました。そして九州の日向(宮崎県)の、高千穂(たかちほ)の峰に降臨されたのです。
このとき二柱の神がニニギを先導しました。
ニニギは、
「この土地は韓国(からくに・朝鮮半島)に向いていて、笠沙の岬(かささのみさき・野間岬・写真参照)にもまっすぐ道が通じているなあ。朝日が直射して夕陽も照る国だ。良い場所だなあ」
と言って、地中の岩盤に太い柱を立てて、高天原に届かんばかりの高さの千木(ちぎ・社殿の屋根の両端の所で、交差し高く突き出ている部分)をそびえ立たせた宮殿を造営して住まわれたのでした。
ニニギはアメノウズメに、
「道案内してくれたサルタヒコは、彼の素性を明らかにしたあなたが送ってあげなさい。それから彼の名前をあなたがもらい受けて、今後も奉仕しなさい」と言いました。
神楽の舞などの奉仕をした女官のことを猿女君(さるめのきみ)と呼ぶのは、これが由来です。
ちなみにサルタヒコが阿耶訶(あざか・三重県松阪市阿坂地区)に住み、漁をしていたときに、比良夫貝(ヒラブガイ・ツキヒガイ・写真参照)に指を挟まれて溺れてしまったことがありました。
サルタヒコが溺れ沈んで海の底にいたときの名は底度久御魂(そこどくみたま)といいます。また沈んでいくときに海水が泡立った様子を都夫多都御魂(つぶたつみたま)、泡が弾け裂けるときの名を阿和佐久御魂(あわさくみたま)といいます 。
さてさて、サルタヒコを送り届けたアメノウズメが帰って来ました。戻るなりすぐに大きな魚から小さな魚まで全部集めて、
「おまえたちはニニギに従って仕えるか?」
と尋ねました。
魚たちは、
「お仕えします」
と答えましたが、ナマコだけは無言でした。そこでアメノウズメは、
「この口が答えない口か!」
と言って、小刀でナマコの口を裂いてしまいました。
だからナマコの口は今でもやはり裂けているのです。
そんなこんなで志摩(三重県)から初物の海の幸が皇室に献上されるときは、猿女君らにも与えるのがならわしになっています。
画像引用:南さつま市観光協会(http://urx.blue/CZfn)