太安万侶(おおのやすまろ)が申し上げます。
もともと宇宙万物のはじまりは、根幹となるものはできあがっていたものの、名もなく動きもなく、誰もその形を知ることはできません。
それから天と地が分かれて初めて最初の神が登場し、男女の性が分かれてイザナギの神(伊邪那岐命)、イザナミの神(伊邪那美命)が、万物の親となりました。
イザナギは死者の世界を訪れたあと、再び戻り、太陽と月の神などさまざまな神を誕生させました。
太古の時代のことははっきりしないものの、多くの言い伝えや昔の賢者のおかげで、国や島が誕生したことや神代のできごとを知ることができます。
天岩戸(あまのいわと)の話や、アマテラス(天照大神)とスサノオの誓約(うけい・占い)などを経て、代々の天皇が続き、多くの神が繁栄してきました。また神々が相談し、大国主(おおくにぬし)と談判して日本の国土を平定することができました。
こうしてニニギノミコトが初めて高天原(たかまがはら・天上界)から地上にお降りになって、初代・神武天皇(じんむてんのう)が大和国を巡りました。
第10代・崇神天皇(すじんてんのう)は夢のお告げを受けて、天の神と地の神を崇敬された賢明な君主でした。第16代・仁徳天皇(にんとくてんのう)は民家から昇る煙の少なさを見て人民を慈しんだ聖帝だと伝わっています。
どの天皇もそれぞれ進歩や保守、派手さや地味さといった差がありましたが、昔のことを調べ、風紀と道徳を正し、世の徳を維持してきたのです。
飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)で日本を統治した第40代・天武天皇(てんむてんのう)の御世に至って、彼は皇太子として皇位に立つべく徳を持っていましたが、好機を窺って吉野山に身を隠していました。
やがて機は熟し、援軍を得て進軍。わずか十二日にもならぬ短期間で敵を征して都に凱旋したのです。
即位した天武天皇は中国の皇帝をしのぐ善政を行い、同時に昔のことを明らかにする研究にも心を砕いていました。
天武天皇はおっしゃいました。
「諸氏族に伝わる『帝紀』と『旧辞』は、虚偽の記述を加筆したものが多い。今のうちに改め、偽りを削除し、正しい物を後世に残したい」
ちょうどいいことに、稗田阿礼(ひえだのあれ)という二十八歳の青年が仕えていました。彼は大変賢く、一度見た言葉を暗記してそらんじることができたので、天皇は彼に「帝紀」と「旧辞」の暗記を命じました。
ところが天皇が崩御し、この事業はうやむやになってしまったのです。
第43代・元明天皇(げんめいてんのう)が即位され、以降、立派に徳政を積まれております。天皇はわたくし、安万侶に稗田阿礼が暗誦する「帝紀」と「旧辞」を正しく書き記して献上しなさいと命じました。
しかし昔の言葉というものは素朴過ぎて、文章に起こす際に漢字の使い方に難点が生じました。漢字を訓読みで書くと漢字の意味と言いたい言葉の意味とが一致しなくなります。逆に音読みで漢字を使うと文章が冗長になるのです。
それゆえに音読みと訓読みを混在させ、場合によって全て訓読み表記にしました。また判りにくいものは注意書きを入れたりしました。
書き記した時代は天地開闢から第33代・推古天皇(すいこてんのう)まで。
アメノミナカヌシ(天之御中主神)からウガヤフキアエズ(鵜草葺不合命)までが上巻、初代・神武天皇から第15代・応神天皇(おうじんてんのう)までが中巻、第16代・仁徳天皇から第33代・推古天皇までが下巻、合わせて三巻を謹んで献上いたします。
和銅5年(712年)1月28日
正五位上勲五等太朝臣安萬侶