アメノワカヒコが死んでしまったので、彼の妻・シタテルヒメは泣き叫びました。その嘆きは高天原まで聞こえるほどでした。
アメノワカヒコの父・アマツクニタマや彼の妻子もそれを聞き、地上へと降りて泣き哀しみ、喪屋(もや・喪中の生活を送るための家)を造りました。
川に棲むガン(雁)には死者の食べものを運ばせ、サギ(鷺)には掃除をさせ、カワセミ(翡翠)には食事の用意をさせ、スズメ(雀)には米を搗かせ、キジ(雉)には泣き役を命じ、八日八晩宴会をしながら死者を弔いました。
このときアジスキタカヒコネ(大国主とタキリビメの子。「甚だしい一夫多妻ぶりの大国主」にて登場)がやって来て、アメノワカヒコに弔意を表しました。
すると彼を見たアマツクニタマとシタテルヒメは泣きながら、
「我が息子はまだ死んでなかったぞ!」
「私の夫はまだ死んでなかったんだわ!」
と言って、アジスキタカヒコネの手足に取り縋って泣き喚きました。
アマツクニタマとシタテルヒメが、自分の息子や夫とアジスキタカヒコネを見間違えたのは、この二柱の神の見た目がそっくりだったからです。
アジスキタカヒコネは激怒。
「俺は彼と親友だったから、葬儀に来ただけだ。俺を死人と見間違えるなんて、なんて汚らわしい!」
と言うと、腰に付けていた長い剣を抜いて、喪屋をぶった斬って壊し、足で蹴飛ばしてしまいました。
蹴飛ばした喪屋は、美濃国(岐阜県)の藍見川(あいみがわ・長良川説と揖斐川水系の相川説がある)の川上に落ちて、喪山になりました。
喪屋を斬った長い剣の名は、大量(おおはかり)もしくは神度剣(かむどのつるぎ)と呼ばれています。
アジスキタカヒコネが飛んで帰って行ったあと、シタテルヒメは彼の名を世に知らしめようと歌を詠みました。
「天の織姫(おりひめ)が身につけている玉の首飾り
そのきれいな玉のように二つの谷を飛んで行くのがアジスキタカヒコネです」
この歌は夷振(ひなぶり)と呼ばれています。