古事記が成立したのは和銅5年(712年)。平城京に都が遷都されて間もなくのころでした。
では平城京ができてから古事記編纂の計画が立ち上がったのかというと、そうではありません。話はその約30年前にまで遡ります。
当時は第40代・天武天皇の時代でした。古事記は日本最古の歴史書ですが、古事記が誕生する以前に歴史書がなかったわけではありません。
聖徳太子(厩戸皇子)の時代には「天皇記」や「国記」といったものがありました。しかし火事で焼失したり、散逸してしまっていたのです。
同じく「帝紀」と「旧辞」という皇室の系譜と説話・伝承をまとめた書物もあったのですが、こちらは諸豪族によって書き加えられたり修正が入ったりで、内容にブレが出てしまっている状態に陥っていました。
正確な史実を遺す必要性を感じた天武天皇は、天武天皇10年(681年)に新たな歴史書の編纂を命令。これが古事記成立のスタートです。
まず天武天皇は、当時28歳の青年だった暗記の天才・稗田阿礼(ひえだのあれ)に命じて、「帝紀」と「旧辞」を音読の上で丸暗記させました。膨大な資料の暗記ですから、暗記は一朝一夕にはいきません。
そうこうするうちに肝心の天武天皇が病死してしまいます。
その後、第41代・持統天皇、第42代・文武天皇が政務を執り行いましたが、歴史書の編纂は残念ながらストップ。
そして慶雲4年(707年)に即位した第43代・元明天皇が、中断していた歴史書の編纂再開を太安万侶(おおのやすまろ)に命令します。稗田阿礼が暗誦する言葉を太安万侶が筆記。さらに数カ月かけて編集し、和銅5年(712年)に古事記は完成しました。
古事記はあらましとあらすじを書いた序文のほか、上巻(かみつまき)・中巻(なかつまき)・下巻(しもつまき)の3巻に分かれています。
上巻は天地開闢(てんちかいびゃく)から始まるいわゆる日本神話。
中巻は初代・神武天皇から第15代・応神天皇までのできごとを綴っています。ヤマトタケルの話も中巻です。
下巻は第16代・仁徳天皇から第33代・推古天皇まで。ちょうど聖徳太子(厩戸皇子)の時代のところで古事記は終わります。
本分は変体漢文と呼ばれる漢字だらけの文章で書かれています。漢文(中国語)ではなく、漢字を使って日本語の音を表す万葉仮名を使用した、あくまでも日本語で書かれている書物です。
歴史書ですが、歌も多く掲載されています。
摩訶不思議な話から奇想天外な話まで、バラエティに富んだ展開を見せる古事記の世界を簡単に2分ずつ、しかしじっくりと愉しみましょう。